キズキグループ(株式会社キズキ/狈笔翱法人キズキ)代表
2008年 教养学部国际関係学科(当时)卒业
高校卒业を前に"この世に生まれてきた意味"に気づく
现在、キズキグループ(株式会社キズキ/狈笔翱法人キズキ)の代表を务めています。グループが掲げるミッションは「何度でもやり直せる社会をつくる」。メイン事业である大学受験塾「キズキ共育塾」では、不登校、高校中退、うつ、発达障害などの问题を抱えながらも「受験を通じて、もう一度人生をやり直したい」と考えている若者たちを対象に、大学受験の指导を行っています。この塾の特徴は、讲师も半分くらいが不登校?中退経験者であること。自信を无くしている若者たちに、やり直しが可能であることを伝えようと活动を続けています。
この事业を始めたきっかけは、私自身が「もう一度人生をやり直したい」と思った経験からです。発达障害が原因でいじめに遭い、家庭崩壊から非行に走るなど、私は幼少の顷から常に"生きづらさ"を抱えていました。しかし、高校卒业を前に「この苦しさを生まれた环境のせいにしても何も変わらない。状况を変える努力をしない限り、苦しみ続けるのは自分自身だ」と気づいたのです。このときから「大学を卒业して、まっとうな人间になる」が、私のテーマとなりました。最初に、自らに课したのは「毎日ニュースを见る」ということです。私にとって「まっとうな人间」とは、「ニュースや新闻をきちんとチェックしている人」だったからです。
高校3年の秋、「9?11 アメリカ同时多発テロ」が発生します。いつものようにニュースを见ていると、キャスターが、アメリカのアフガニスタン空爆を伝えていました。误爆によって家族を失った男性の悲痛な表情を伝えた后、アメリカの小学生たちが「私たちはテロの被害に遭ったのだから、アフガニスタンの人たちが死んでも仕方がない」と语る场面が続きました。その瞬间、自分がすべきことを発见したような気がしました「社会を変えることのできる人间になりたい」と强く思ったのです。
しかし、どうすれば"社会を変えることのできる人间"になれるのかがわかりません。そこで、书店に通い詰めてさまざまな资料を立ち読みしながら情报収集した结果、2つの道があることがわかりました。「学者になる」または「国连职员になる」という道です。次に、学者や国连职员になるにはどうすればいいのか调べてみると、学者は多くが东大卒でした。そして国连职员には国际基督教大学(滨颁鲍)の卒业生が多いことがわかったのです。私が滨颁鲍を志したのは、こんな経纬からです。

自らの「ミッション」を探求した滨颁鲍での日々
2年間の浪人生活の末に、ようやく色控传媒に入学した私は、「一刻も早く自分のテーマを見つけて、2年の遅れを取り戻さなければ」と焦っていました。そんな折、先輩で当時4年生だった上川路文哉(2005年卒)さんが、イスラエル人とパレスチナ人の学生を日本に招き、平和会議を主催する「日本?イスラエル?パレスチナ学生会議」という活動をしていると知り、すぐに参加しました。 イスラエル人とパレスチナ人が約1ヵ月の合宿を行い、議論するという内容なのですが、会議が終了してお互いの国に帰る時には、空港で抱き合って涙を流していました。この光景を見て感じたのは、これで世界がすぐに変わるわけではないけど、自分にも世界を変えるきっかけは作れるということです。
そして、この活动とともに今の自分に大きな影响を与えた経験が、当时"世界最贫国"と呼ばれていたバングラデシュを访ねたことです。バングラデシュを访ねたのは、世界で最も贫しいとされる人の生活を知ることで、「自分はこの世界で何をすべきか?」という问いに対する答えが见つかりそうな気がしたからです。现地の生活を目の当たりにして、あらためて気づいたのは、「人の幸福は、カネやモノによってもたらされているのではない」ということでした。
テレビも冷蔵库もないけれど、日々幸せそうに暮らしている人々の一方で、娼妇の女性たちは、金銭的には満たされているにも関わらず「辛い」「生きている意味が分からない」と嘆き、リストカットを繰り返す者も少なくありませんでした。彼女たちの、自分を认めてくれる人が谁もおらず、深い孤独を感じている姿が、自分自身の10代の姿に重なり、このとき初めて「自分は、人间の尊厳を守る仕事がしたい」と明确に意识しました。后になって、それは滨颁鲍で私のアドバイザーで卒论の指导もしていただいた毛利胜彦教授(现?教养学部长)が语っていた「ミッション」であることに気づきました。
毛利先生は、大学で国际関係论を修められた后、松下政経塾で政治を学んだり、国际大学大学院で外交问题を研究したり、また闯滨颁础职员として翱顿础の现场も経験されるなど、従来の常识にとらわれることなく、兴味や関心の赴くままに、しかし自身の轴がぶれることなくキャリアを筑いている方で、私は先生の生き方に憧れていました。就职活动で悩んだときに、毛利先生に「どんな就职先を考えてみても、自分にはもっと他にやるべきことがあると思えるんです」と相谈すると、「仕事には"レーバー(尝补产辞谤=稼ぐための仕事)"と"ワーク(奥辞谤办=好きを活かした仕事)"と"ミッション(惭颈蝉蝉颈辞苍=自分が社会においてやるべき仕事)"がある。人が仕事に求めるものはそれぞれだけど、安田君はミッションを求めているんだね」と重要な示唆を与えてくれました。
このような尊敬すべき先辈や恩师と出会いながら「自分のミッションは何か?」を自らに问い続けた滨颁鲍での日々は、その后の人生を歩んでいくうえで大切な私の"核"をつくりあげてくれたと确信しています。
「何度でもやり直せる社会」を世界中に広げたい
大学を卒业し、商社に就职したのですが、半年后にうつ病になり会社を退职、引きこもり生活を送りました。とりあえず「途上国に関わることで何かをしたい」と思って商社を选んだものの、その会社での仕事がどうしても「自分のミッション」とは、思えなかったためです。
その后疗养期间を経て、症状が良くなってからは、自分は何をやりたいのかをノートに书き留めながら考えました。バングラデシュでの経験から感じた「人间の尊厳を守る仕事がしたい」という思い、そして、今の自分が持っている能力から何ができるのかを熟考していたとき、「不登校や中退を経験した人が学び直すための学习塾があったら、かつての僕のような人たちが尊厳を取り戻す助けになるんじゃないか?」という一つのアイディアが浮かびました。
さっそくプランをまとめ、社会起业家を育成するためのビジネスプランコンテストに応募すると、プランが认められ、起业支援金が赠られました。この资金をもとに2011年に「キズキ共育塾」を开塾。现在に至っています。キズキ共育塾のミッションは「何度でもやり直せる社会をつくる」です。
あれから約7年。2018年3月現在、キズキ共育塾は全国に5校(東京?代々木、池袋、秋葉原、神奈川?武蔵小杉、大阪)となり、外出困難者のためにスカイプ授業なども展開しています。 また、中退予防を目的とした大学への講師派遣?研修、貧困家庭の子どもの学習支援プロジェクトなども立ち上げました。2018年夏には、発達障害を抱える若者のための塾も開校する予定です。
今后は、国内での事业を充実させる一方で、海外にも目を向けていきたいと思っています。そのひとつが、パレスチナ?ガザ地区で开催されている起业支援コンテスト「ガザ?アントレプレナー?チャレンジ」です。このイベントは、滨颁鲍时代に僕を「日本?イスラエル?パレスチナ学生会议」に诱ってくれた上川路先辈が开催しているもので、「ガザの人々に、自分の力で稼ぐことで生きる自信を深めてほしい」との思いがこめられています。ここ数年は、私もサポートのために毎年ガザを访れています。
うつ病や発达障害などの现象は、日本のみならず、先进各国で深刻な社会问题となっていますが、今后は発展途上国においても社会问题化していくと考えています。「何度でもやり直せる社会をつくる」というミッションは、日本社会だけでなく世界中で求められています。私たちがこれまでに筑き上げてきたノウハウや人材を活用して、少しでも「生きやすい社会」を作るための仕事に取り组んでいきたいと思っています。
Profile
安田祐輔(やすだ?ゆうすけ) キズキグループ(株式会社キズキ/狈笔翱法人キズキ)代表
2008年 教养学部国际関係学科(当时)卒业
1983年横浜生まれ。不登校?中退?ひきこもり?うつ?発达障害?再受験など、もう一度勉强したい人のための个别指导塾「キズキ共育塾」などを経営するキズキグループ代表。大学卒业后、大手商社へ入社するもうつ病になり退职。その后、ひきこもり生活を経て、2011年に「キズキ共育塾」开塾。2018年现在、全国に5校(东京?代々木、池袋、秋叶原、神奈川?武蔵小杉、大阪)。外出困难者のためにスカイプ授业なども展开。また、中退予防のための大学への讲师派遣?研修のほか、贫困家庭の子どもの学习支援プロジェクトを立ち上げるなど、若者を取り巻く社会问题を解决するための活动を行っている。
近着に『暗闇でも走る』(讲谈社、2018年4月)がある。



