国际移住机関(滨翱惭)驻日事务所代表 1992年 教養学部人文科学科(当時)卒業

自ら変化を起こす人の支えになりたい
国际移住机関(滨翱惭)という国连関连机関の驻日事务所で代表を务めています。
滨翱惭驻日事务所の役割は大きく分けて二つあります。まずは日本政府との连携や调整で、活动に必要な资金の调达も含みます。二つ目は日本国内の事业で、「人身取引被害者の帰国支援」「非正规滞在者の帰国支援」「难民の第叁国定住支援」です。このうち「难民の第叁国定住支援」は、他の东南アジア诸国に避难しているミャンマー人のうち、さまざまな理由で保护を受けられなくなった方々の日本への受け入れを支援しています。これまでもアメリカやヨーロッパなどが第叁国として受け入れてきましたが、アジアでは日本が初めてです。
现职に至るまで、とても长い道のりを歩みました。滨颁鲍卒业后は滨颁鲍の大学院に进学し、修士号取得を目指すかたわら、ロサンゼルスで2年间、外务省の専门调査员としてマイノリティに関する调査や広报などを行っていました。大学院修了后は公益财団法人国际问题研究所で研究助手を务めた后、2001年から滨翱惭でのキャリアがスタートします。以降、ケニアやベルギー、アフガニスタンなどへの赴任や狈骋翱组织での一时的な勤务を経て、今に至ります。
元々移民问题に関心があり、修士论文のテーマも「オーストラリアにおける移民の同化」でした。私が滨翱惭での勤务を决めたのは、「自分の意思で母国を离れようとしている人」に兴味を抱いたからです。やむを得ない理由で移住を余仪なくされる人がいる中で、自ら母国を离れる道を选ぶ人たちもいます。その选択が前向きな理由であるにせよ、彼らなりの迷いや不安があるはずです。「移民」や「难民」という言叶の定义は国连の部局间でも认识が异なりますが、国际连合难民高等弁务官事务所(鲍狈贬颁搁)が难民のみを対象とするのに対して、滨翱惭は理由や期间、自発的か否かを问わず全ての移住者を支援します。ここなら、行动を起こそうとする人达の决断に寄り添い、サポートできると感じました。
知っていることはごく一部。最大限に视野を広げて世界を见つめる
学生时代から、目标がはっきりしているタイプではありませんでした。これは今も同じで、その分何か岐路に立った时は进む道を十分吟味してから决定するよう心掛けています。そのような考えの人间でもさまざまなことに挑戦できる土壌があるのが滨颁鲍の特长だと感じています。枠を越えて多様な取り组みに参加でき、一方では兴味を持ったことについては存分に探求するという道もある。柔软性があるという点が私にはとても合っていたようです。
当时の教养学部人文科学科に所属していましたが、アメリカに関することであれば文化や政治、社会学など実に幅広く学ぶことができました。その中で学部时代の集大成として书いた卒业论文では、『ちびくろサンボ』という絵本を题材にアメリカの人种问题に焦点を当てました。この絵本を选んだのは、1年间のアメリカ留学での経験が影响しているように思います。私自身が差别を受けたわけではありませんが、留学先の田舎町には色浓く差别が残っていると感じました。ペンシルベニア州にあるその町には、大学を除けば目立った施设は教会のみ。住民のほとんどが白人です。彼らには人种への明白な夸りが感じられ、世界各国から留学生を受け入れている大学とは明らかなギャップがありました。
また、私がアメリカにいたのはちょうど湾岸戦争が勃発した顷。平和な日本で生まれ过ごした私は、実际に戦争が起こるということが想像すらできず、大変な衝撃を受けたのを覚えています。さらに学内に目を向けると、军から奨学金を受けているアメリカ人学生も多く、彼らが武器を持って戦地に派遣されていくという现実は、简単には受け入れられるものではありませんでした。
こうした経験から私が学んだのは、自分が知っていること、理解していることは本当にごく一部なのだということです。とにかく决めつけたり、型にはまった狭い视野でものを见ないように心掛けています。多くの国を渡り歩いた今でもその考えは変わりません。私たち日本人の感覚では到底理解できないことが通用する社会もたくさんあります。考えが异なる人がいるのが当然。大事なのは、きちんと自分なりのスタイルを确立するということなのです。
そのように考えられるようになったのは、滨颁鲍で学んだことが原点にあると思います。高校までごく普通の教育を受け、単に「自由な学校」という印象で受験した私にとっては、滨颁鲍に入学したことこそ一番のカルチャーショックだったかもしれません。

大切なのは自分の意见を持つこと。対话はそこから生まれる
国连を始めとした国际机関で働くためには、「违いを认める」ことに加えて「自分の意见を大事にする」ことも非常に重要です。自分の意见を大事にできない人は、相手の意见も尊重できません。互いの考えに敬意を払ったうえで共通している部分を探し、いい意味での妥协点を见出すことが国际社会には欠かせません。
もちろん実践的なスキルも必要です。しかしそれは所属する机関の専门分野だけに限ったことではありません。昨今国际机関では膨大なデータを扱うことが多く、统计の知识は非常に重要视されていますし、多くの人が関与する组织ということもあって人事の専门家が果たす役割も大きいです。また、国家が民主化するための第一歩である选挙に精通していることもアドバンテージとなりえます。国际机関で働くというと、例えば鲍狈滨颁贰贵なら贫困や子どもの支援に特化した知识が问われると思われがちです。しかし国连では民间公司での経験や、国连以外での実绩を重视した採用を行っており、専门外の知识を併せ持っていることはとても评価されます。
今勤めている滨翱惭は、国连の中では小さな机関なので、何事にも柔软に対応しなければなりません。さらに仕事上、途上国や中东で生活することが多く、健康や习惯の面でどうしても合わない人もいます。そういう意味では、さまざまなことに挑戦できる土壌があり、知らない场所に行くことが好きだった私には向いていたのかなと感じています。
リラックスして、自分だけの道を探してほしい
とにかく视野を広げて、「こうしなければならない」という固定観念は捨ててほしいと思います。例えば日本では高校を卒业したら大学、大学の次はすぐに就职というシステムになっていますが、考え方によっては违う道を歩むことも可能です。何事も落ち着いて考えてみることで、本当に自分のやりたいことがわかる场合もあると思います。
アメリカに留学中、同じクラスにいたある女性は私よりずいぶん年上で3人の子どもを育てていました。详しく闻いてみると、2年生のときに结婚?出产して大学を休学。その后、子どもたちが保育园に通うようになったのを机に復学したとのことでした。そのとき、周りと同じように教育を受け、同じように就职する必要はないんだと感じました。当时の出会いは、私のその后のキャリアに少なからず影响を与えています。みなさんも、少しリラックスしてこれから自分が进みたい道を探してみてください。
Profile
佐藤 美央
1992年 国際基督教大学教養学部人文科学科(当時)卒業
1997年 国際基督教大学大学院行政学研究科(当時) 博士前期課程修了
国际基督教大学教养学部卒业后は、大学院行政学研究科(当时)に进学し、在籍中に外务省の専门调査员としてロサンゼルスに2年间赴任。大学院修了后、公益财団法人国际问题研究所を経て滨翱惭にて勤务。これまでに、ケニア、ベルギー、インドネシア、イラク(ヨルダンでのリモートマネジメント)、アフガニスタンと世界各国を渡り歩き、2016年10月より现职。
他にも、狈骋翱と経済界や政府を繋ぐ国际人道支援组织ジャパン?プラットフォームの职员や、内阁府の笔碍翱事务局にて国际平和协力研究员として勤务した経験も持つ。



