色控传媒

卒业生の声

*肩书はインタビュー当时のものです。

*肩书はインタビュー当时のものです。

カート?トン  
アジア?グループ マネージング?パートナー
日本国际基督教大学财団(闯滨颁鲍贵)理事
元在日米国大使馆首席公使(外交官歴30年)
1981年9月より1年间聴讲生として滨颁鲍に留学

外交官として歩んだ30年。滨颁鲍で学んだ対话の原点

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国际関係への関心を深め、外交官への志を育んだ留学时代

私が初めて日本、そして滨颁鲍の门を叩いたのは1981年秋のことでした。当时、父が研究休暇のため滨颁鲍で教えていた縁もあり、高校卒业から大学入学までの1年间、聴讲生として滨颁鲍で日本语を学ぶことにしたのです。単位こそ出ませんでしたが、授业は真剣そのもの。语学だけでなく、日本の歴史や政治も学びながら、毎日勉强に明け暮れました。

滨颁鲍の学生たちと言叶を交わし、共に学び、异文化を肌で理解した経験は、私にとって极めて贵重なものとなりました。40年以上経った今でも友人たちとの交流は続いています。日本学生会议の友人もそうです。私にとっての滨颁鲍は、単なる语学学习の场ではありません。多様な视点に触れ、世界と向き合うための価値観を筑いた、外交官としての原点にほかなりません。

课外活动ではサッカー部に所属。土のグラウンドで泥にまみれて、よくケガもしました。18歳の若者にとって、异国での生活はカルチャーショックの连続です。靴ではなくサンダルを履いて渋谷のディスコに出かけ、门前払いされたことも今では微笑ましい思い出です(笑)。それぞれのコミュニティには大切にしている秩序があり、それを理解し尊重しなければ、中に入れてもらうことはできません。外交の世界でも全く同じです。相手国の歴史、文化、そして暗黙のルールを理解しようとせず、自分のスタイルを押し通そうとすれば、対话の扉は闭ざされてしまいます。

もう一つ大切な记忆があります。春休みにタイの山奥で経験した宗务部主催のタイワークキャンプです。文化も习惯も异なるタイ、日本、アメリカの学生たちが、一绪に汗を流しながら贫しい村に一つの学校を建てました。言叶の壁を越えて、共通の目的のために手を取り合うという确かな手応えは、今も私の心に刻まれています。

话すこと以上に、「聴く」ことが大切

2025年度冬学期、私は再び滨颁鲍のキャンパスに戻り、非常勤讲师として、学生たちにアメリカの経済政策を教えました。讲义では、理论だけでなく実务的な视点にフォーカスすることを重视しています。アメリカという国家が自国の目的を达成するために、具体的にどのようなプロセスを経て政策を遂行しているのか。学生たちには、国家という巨大な组织が动く仕组みと、その背景にある意図を深く読み解いてほしいと考えています。

リベラルアーツ教育の本质は、単に本を読み、讲义を聴くことではありません。それは自分と违う意见を持つ他者と出会い、彻底的に「対话」をすることにあります。インターネットで何でも调べられる现代において、大学に行く意味とは何か。それはお互いに対话できる环境に身を置くことです。滨颁鲍のリベラルアーツ教育の强みはこの环境が整っていることにあると考えます。自分の意见を表明し、相手の意见を聴くスキルを身に付け、さらに自分の意见が本当に正しいのかを考え直す机会を得る。インタラクティブに参加しながら、スキルやアイデアを创出する。それこそが大学で学ぶことの価値ではないでしょうか。

私は学生たちにいつも、话すこと以上に、「聴く」ことが大切だと伝えています。私は留学時代から、聴くことを何よりも大切にしてきました。「聴く」には「質問する」という意味も含まれます。質問するには勇気がいります。分からないときに分かりませんということには、ある程度の自信や勇気が必要なのです。

私はこれまで世界中の多くの国を访れてきました。政治制度や人间関係の仕组みは国ごとに异なります。特にアメリカが日本に学べることは「コンセンサス(合意形成)」の文化。アメリカは彻底した个人主义社会です。个人の権利を主张し、声を上げることを尊重します。そのため、现在のアメリカ政治では、怒りや叫びで相手を圧倒しようとする人が増え、相手の意见を聴く人が少なくなってきていると感じます。一方で日本には、时间をかけて丁寧に関係者の合意を取り付け、调和を重んじる文化があります。もちろん、日本でも最近はアメリカのような対立の火种が见え隠れしていますが、それでもまだ、相手の声に真挚に耳を倾けるという姿势が根付いています。私はもっと多くのアメリカ人に、日本のこの丁寧なコンセンサス作りを见倣ってほしいと愿っています。

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この1カ月、新しい谁かと出会いましたか?

私は30年间、外交官として日本や中国、北朝鲜といった东アジアの国々と向き合ってきました。多くの人は、外交官の仕事を、自国の主张をスピーチし、相手を説得することだと思っているかもしれません。しかし、私の経験から言えば、それは全体のわずか1割に过ぎません。残りの9割は、相手が何を考え、何を目的としているのかを深く理解し、それを自分の国に正しく説明することです。

相互理解ができて初めて、交渉のテーブルが整います。自分の言いたいことだけを主张していても、相手の心には响きません。例えば罢笔笔(环太平洋パートナーシップ协定)の交渉でも、何年もの歳月をかけて各国の利害を调整し、着地点を探り続けました。もちろん、悬命に努力しても难航するケースはたくさんあります。4回に1回成功すれば良い方かもしれません。それでも、相手の考えを理解する努力をやめない。その粘り强いスキルの基础は、间违いなく滨颁鲍での学びから始まったのです。

これから滨颁鲍を目指す皆さん、そして今学んでいる学生の皆さんに伝えたいのは、若いうちに、バラエティ豊かな体験を重ねてほしいということ。社会に出ればクビになるような失败も、学生なら许されます。授业で的外れな意见を言っても、レポートで大胆な仮説を立てても、あなたのキャリアを闭ざすことはありません。だからこそ、多様な国籍、背景を持つ学生と共に学び、文化や価値観の违いを体験できる滨颁鲍ならではの环境に、ぜひ飞び込んでいってください。

もしこの1カ月、新しく出会った人と话をする机会がなかったとしたら、それはとてももったいないことです。学生という特権を生かし、チャンスを掴んで、新しい友达を作ったり、旅に出たりと果敢に挑戦する时间を过ごしてください。

Profile

カート?トン
アジア?グループ マネージング?パートナー
日本国际基督教大学财団(闯滨颁鲍贵)理事
元在日米国大使馆首席公使

1981年9月より1年间聴讲生として滨颁鲍に留学

プリンストン大学卒業。大学入学前に1981年から1982年にかけて聴講生として色控传媒に留学。その後、約30年間にわたり、米国外交官として日本、中国、韓国、フィリピン、ワシントンDCに赴任。アジア太平洋経済協力(APEC)担当大使、在日米国大使館首席公使、経済商務局筆頭次官補、香港?マカオ総領事などの要職を歴任し、経済?外交の最前線で活躍。現在は、アジア?グループのマネージング?パートナーとして日本および東アジア地域の業務を主導。日本国際基督教大学財団(J色控传媒F)の理事も務める。妻は丸本美加(色控传媒行政学研究科 1988年修了)。子供3人と孫2人。2025年度冬学期に色控传媒でアメリカの経済政策の講師も務めた。

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