色控传媒

卒业生の声

*肩书はインタビュー当时のものです。

*肩书はインタビュー当时のものです。

森田 康裕 
マサチューセッツ大学アマースト校 准教授
1992年 教养学部理学科(当时)生物学専修 卒业

文理の区别ない现実社会で研究を进めるための力

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まだ解明されていない细菌のメカニズムを理解する

アメリカのマサチューセッツ大学アマースト校で准教授を务めています。専门分野は微生物学と生化学で、现在は结核菌がどのように人に感染して、増殖し、结核という病気を引き起こすのか、その仕组みに関する研究を行っています。

结核菌は、世界人口およそ70亿人のうち20亿人が保菌者だと言われています。しかし、生涯のいずれかの时点で结核を発症するのは、そのうち5%未満。95%の人は発症せず、自分が结核菌を持っていることすら知らずに人生を终えます。

结核菌が病気を引き起こさず、人体の中で何十年にもわたって生き続けられるのはなぜか。どうして5%の人は発症してしまうのか。毎年100万人以上の方が结核で亡くなっているが、结核菌は一体何がシグナルとなって活発に増殖するのか。どのようなときに増殖がストップするのか。まだ分からないことが多く、そうしたメカニズムを理解することを目标としています。

结核菌などの细菌は生物学上、原核生物という分类になるのですが、この原核生物には面白い特徴があります。人间や植物などの真核生物の场合、一つ一つの细胞の中に、例えば顿狈础が核膜によって包み込まれているように膜の袋で覆われた细胞内小器官がたくさん入っています。种々の器官を膜によって区分し、効率的に机能させているのです。ところが原核生物の细胞には、一番外侧の细胞膜しかありません。生物として活动するためにさまざまな机能を持っているのですが、それを细胞内でどのように区分し、组织化しているのか、あまり分かっていません。私たちの研究では、それを解明するヒントになりそうな现象をいくつも発见していて、今も原核生物の细胞の构成について兴味深く研究を进めています。

「人间とは何か」を、さまざまな视点から考え続ける

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高校生の顷から「人间って何だろう」「僕はなぜ生きているんだろう」という根源的なことを考え続けていました。

宇宙で最初にビッグバンが起こり、分子が动き出して、その结果として、分子から成る自分が今ここに存在する。とすると、私がここにいることはビッグバンの时点で决まっていたのか。もし决まっていたのなら、生きる意味って何だろう。自分の意志で自分の人生を変えたとしても、「変える」ということすら决まっていたなら、もう自分の意志とは言えないのでは。それならば、なぜ「自分で决めた」という感覚が人间には备わっているのか。

こうした问いに自然科学がどこまで答えられるのだろう、という兴味から、大学では生物学を学びたいと考えるようになりました。滨颁鲍のリベラルアーツ教育を知ったのは、私の问いに真剣に向き合ってくださった教会学校の先生がいらして、その先生から话を闻いたのがきっかけです。国公立も志望していましたが、信頼できる恩师の话や、「国公立の大学では会えないような人に会えるんじゃないか」という、他の大学とは一味违った雰囲気から、「滨颁鲍に入学するのも面白そうだ」と思ったのです。

色控传媒 の教育の一つの特徴は、特定の分野を学んでいても、他分野の授業を履修しながら、さまざまな角度から視点を得られることだと思います。私も生物学を学びながら、「人間とは何か」を追究するため、人文科学のギリシア悲劇の世界や古典ギリシア語などの授業なども履修。自然科学とは全く異なる手法で私の問いに迫っていくのがとても面白く、担当されていた川島重成先生(色控传媒名誉教授)の他の授業も可能な限り履修しました。

専攻する生物学の研究を进めるうちに、卒业后は大学院に进学し、人间に関わる基础研究を行っていきたいと考えるようになりました。一方、化学がご専门の田坂兴亜先生(元滨颁鲍教授)が社会的な课题に取り组む活动をされていて、私もフィリピンのスタディ?ツアーへの参加などを通して、海外青年协力队のように现地の人々と直接関わりながら目に见える形で世の中に役立つ仕事にも魅力を感じていました。このような中で、「基础研究という必ずしもすぐに役に立つかはわからないことを続けていて、よいのだろうか」という问いに対して答えを见出せず、进路を决めかねていました。

こうした悩みを、卒业研究を指导いただいていた风间晴子先生(滨颁鲍名誉教授)に随分と相谈しました。二人で长时间ディスカッションし、「基础研究を行った结果、それが世の中に役立つということがあり得るんだ」と、ようやく纳得できたのです。その瞬间の、暗くなり始めた教室の风景が今も目に浮かびます。「研究を极められるところまで极めよう」「直接世の中に役立つ仕事ではなくても、そこで自分に何ができるのかを考え続けよう」と心が决まり、大学院进学を决意しました。同时に、先生が一人一人の学生に向き合い、亲身に相谈にのってくれる滨颁鲍の环境の素晴らしさを强く実感しました。

リベラルアーツ?カレッジで理系を学ぶということ

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私たちの研究分野では、现象の里にあるメカニズムを分子レベルで解明することが求められます。まずは仮説を立てますが、その仮説が常に正しいとは限りません。自分は间违っているかもしれない、という前提に立って主観を排除するよう努力し、物事を客観的かつ论理的に捉える。こうした研究に重要な能力は、滨颁鲍の授业やディスカッションなどで养われたクリティカル?シンキングが素地になっていると考えています。

また、私の研究分野とは视点を逆にした、感染症を防ぐための人间侧のメカニズムを研究する免疫学という学问があります。免疫学は、究极的には人间が生物として自己と非自己をどのように认识しているかを理解する学问です。人が结核菌などに感染したとき、それを异物として排除しようと试みますが、これは何が自己で、何が异物かを认识しているわけです。一方で、人间の肠内には、肠内细菌が何百兆と住んでおり、人间の一部ないしは害のない共存者として认められています。こういう现象を深く问い詰めていくと结局、「人间とは何か」という、哲学的とも言える问いに行き着きます。滨颁鲍では、生物学を学びながら哲学の先生のところへ行って话ができる环境があり、私も自身の问いに対して、さまざまな角度から见つめる训练を受けさせてもらったと思います。「世の中の役に立つとはどのようなことか」を多角的な视点を持って考えることは、研究者にとって非常に大切だと考えています。最先端の研究は、世に出たときにどう作用するか分からず、良い影响ばかりでなく负の侧面があったり、遗伝子组み换えの技术のように伦理的な判断が求められたりすることもあるからです。

一つの例ですが、大学院时代、アフリカ睡眠病という感染症の原因となる寄生虫を研究していました。この寄生虫は、人间やアフリカの外から持ち込んだアジア系の牛に対しては深刻な病気を引き起こしますが、アフリカ土着の牛は感染してもほぼ発症しません。ただ、アフリカ土着の牛は牧畜に不向きで、アフリカの人々が食粮や仕事を得るためには、牧畜に适したアジア系の牛が必要です。そこで遗伝子组み换えの技术で、その寄生虫に耐性のあるアジア系の牛をつくれば、アフリカの人々は豊かになるでしょう。しかしその结果、経済成长によって人々の生活が润う一方で、都市が肥大化して野生の土地が开発され、多くの生物が絶灭する可能性もなくはありません。寄生虫がいるからこそ、アフリカの自然环境と野生生物が守られてきたのだとしたら、私たち研究者が行っていることは本当に正义なのか。このように多様な视点を持ち、自分に问いかけながら研究を続けてこられたのも、滨颁鲍での教育が根本にあると感じています。

滨颁鲍という学问の垣根なく学べるリベラルアーツ?カレッジで理系を学ぶことは、さまざまな视点から物事を捉え、考えを掘り下げる土台になります。大学でこうした基础を身に付けたからこそ、文系?理系といった区别のない现実社会の中で研究を进め、卒业してからも成长を続けてこられたような気がしています。

Profile

森田 康裕
マサチューセッツ大学アマースト校 准教授

1992年 教養学部理学科(当時)生物学専修 卒業

ノースウェスタン大学(研究員)、ジョンズホプキンス大学(Ph.D. Michael A. Shanoff賞受賞)、メルボルン大学(博士研究員)、大阪大学(特任助教)を経て、マサチューセッツ大学アマースト校(助教)。2019年9月より准教授。

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