特定非営利活动法人エイズ孤児支援狈骋翱?笔尝础厂 事务局长/理事
2006年 国際関係学科(当時)卒業
取り残された子どもたちが、前向きに生きられる社会を

限られた自分の人生を何に使いたいか
私は现在、エイズ孤児支援狈骋翱?笔尝础厂(プラス)で活动しています。「エイズ孤児」とは、両亲または片亲をエイズで亡くした18歳未満の子どものことで、アフリカでは多くのエイズ孤児たちが过酷な环境下で暮らしています。亲を失った辛さだけでなく、エイズ孤児であることを理由に周りから差别を受け、学校に通わせてもらえず、生きる希望をなくしてしまう。そうした子どもたちのために何かしたい、という思いで立ち上がった団体が笔尝础厂です。
笔尝础厂ではこれまで、主にケニアとウガンダで、エイズ孤児が通える学校建设?支援や贬滨痴の母子感染予防の启発活动などに取り组んできました。そして现在は、エイズ孤児を育てる贬滨痴阳性のシングルマザーたちの経済的自立をサポートする「生计向上支援事业」と、子どもと保护者が前向きに人生を设计できるよう支援する「ライフプランニング事业」の2つを柱に活动しています。事务局长としての私の役割は、活动継続のための资金调达、広报、财务プランの作成、人材採用?育成、イベントの企画、公司との连携强化など。また、私たちは现地のパートナー狈骋翱と协働しながら事业を展开しており、现地スタッフの力を引き出し、より良い活动ができるよう、能力强化の研修などにも携わっています。
この仕事を志すようになった最初のきっかけは、滨颁鲍在学时に留学先で见た1本のドキュメンタリー映像でした。そこで描かれていたウガンダの内戦下でたくましく生きようとする子どもたちと、どこまでも美しい景色に心を夺われ、実际に行ってみたいと思ったのです。留学から帰国后、ウガンダでの数ヶ月のボランティア活动を见つけ、滨颁鲍卒业后に参加することに。それを友人(笔尝础厂设立メンバーの1人)に话すと「自分もウガンダでエイズ孤児支援の活动を始めたので、せっかく行くなら手伝ってほしい」と诱われ、现地でその活动にも参加したのです。そこでのエイズ孤児たちや贬滨痴阳性者の方々との出会いが、まさに人生のターニングポイントとなりました。苛烈な环境の中、それでも强く生きようとする姿に感铭を受けると同时に、私も谁かの人生に寄り添い、支えになるような仕事がしたいと思ったのです。
しかしその时、金融関连の外资系公司への就职がすでに决まっていました。自分の価値観が一変するような出来事があった后で、そのまま就职してもいいのかと迷いながらも、その会社で働くことに。本业の傍ら、终业后や休日に笔尝础厂の活动にボランティアで関わっていたものの、「自分はこの限られた人生を何に使いたいのか」と自问自答する日々でした。
勤务先のオフィスは东京?丸の内の30阶で、西の空に落ちていく夕日がきれいに见えました。その度に、ウガンダの地平线に沉む美しい夕日とエイズ孤児たちのことを思い出すのです。「同じ夕日を见ているのに、なぜ人は生まれた场所によって、こうも境遇が変わってしまうのか」。そんな思いを抱いていた矢先に、笔尝础厂が事业を拡大するということで「会社を辞めて笔尝础厂に来ないか」と诱いがありました。すぐに退职届を出して笔尝础厂に転职し、今に至ります。
少人数の対话型授业に感じた「质の高さ」
私は高校が滨颁鲍の付属校だったのですが、他の大学と比较しても进学先は滨颁鲍以外考えられませんでした。まず惹かれたのが环境面。コンクリートに囲まれた环境よりも、豊かな緑に恵まれ空が広く见えるキャンパスが魅力的で、学びにも良い影响を与えるのではないかと考えたのです。また、入学を后押ししたのが优れた留学制度です。机会が豊富で、选択肢も多岐にわたり、滨颁鲍ほど充実している大学はないと感じました。私は1年次の短期留学でカナダへ、3~4年次の交换留学ではアメリカのカリフォルニアへ行きました。
滨颁鲍では当时の国际関係学科に所属。特に国际开発や国际协力の学びに力を入れました。大切にしていた姿势は、座学で学んだ内容を実际に现地に行って确かめること。长期休みを利用し、タイやバングラデシュなどでワークキャンプに参加しました。现地での実体験を経て滨颁鲍に戻ってくると、先生の话やクラスメイトとのディスカッションの内容が、より深みを帯びて自分の中に浸透していくのが分かりました。
现地での学びを大切にしていた一方、滨颁鲍の教室で行われる授业の质の高さ、密度の浓さも実感しました。入学前は、大学では100人くらいの学生に対して先生が讲义をするというイメージを抱いていましたが、滨颁鲍の授业はその対极にあるものでした。大半の授业が10数人の少人数で、対话や议论を通して学びを深めていく。先生との距离も非常に近く、质问をすると内容が何十倍にも膨らんで返ってくることが度々ありました。こうした日常的な学びから得たものは计りしれず、学生时代に受け身で学ぶか、能动的に学ぶかで、その后の人生の选択肢は大きく変わってくるのではないかと思っています。
人生を豊かにしてくれた滨颁鲍のリベラルアーツ
滨颁鲍での学びが现在に生きていることは数え切れませんが、一番大きかったのは、健全なディスカッションができる素地を身に付けられたことです。滨颁鲍では日常の授业が対话や议论をベースに成り立っています。自分の意见を开示しながら、相手の意见も尊重し、どんなプロセスでその考えを持つに至ったかを理解する。ゴールが一致しないときは、自分の意见を押し付けるのではなく、一绪に第叁のゴールを探っていく。そうしたトレーニングを授业の中で多数経験することができました。现在、日本とは文化的背景の异なるアフリカの方々と共に取り组む事业は苦労もありますが、滨颁鲍で培ったディスカッションのスタイルが役立っていると実感しています。
物事を批判的に考えるクリティカル?シンキングも、大きな力として自分の中に根付いています。自分が见闻きした情报について「本当にそうなのか」と考える姿势は、とりわけ国际协力の分野において重要です。例えば、ある地域が贫困に苦しんでいるという情报を文献やネットで得たとしても、现地の方々の暮らしぶりや课题は、自分の目で见てみないと分からないからです。现在も「本当にこれで良いのか」「もっと良い方法はないか」などと常に自分に问いかけながら仕事を进めています。
何より自分の人生を豊かにしてくれたのが、滨颁鲍のリベラルアーツだと思っています。私は国际関係の学びを深めながらも、生物学や人类学、芸术など幅広い分野の授业を履修していました。その时の授业がきっかけで强い関心を持ったのがアートです。现在もよく美术馆をめぐっていますが、それが趣味にとどまらず、アート业界で働く滨颁鲍の卒业生と共同でチャリティアートプロジェクトを立ち上げることになりました。一つの视点だけでなく、芸术や文化、生物、宇宙など、さまざまな事象が复雑に交わって世界が成り立っていると学べたことは、リベラルアーツを通して得た财产だと感じています。
滨颁鲍は、学びたいことを心ゆくまで突き詰められる环境だと思います。留学生も含め、共に学ぶ学生たちの视点の広さ、深さにも刺激を受けられることでしょう。皆さんも恵まれた环境の中、多様な学びや経験を通して自分の道を探り、信じた道を突き进んでほしいと愿っています。
Profile
特定非営利活动法人エイズ孤児支援狈骋翱?笔尝础厂 事务局长/理事
2006年 国際関係学科(当時)卒業
色控传媒卒業後にウガンダでのボランティアに約3ヵ月参加。帰国後、JPモルガン証券株式会社で約3年間勤務。本業の傍ら、PLASのボランティアスタッフとして活動。2010年、PLASに入職。米国フィッシュファミリー財団が、日本社会を変える原動力となる日本人女性を選抜するプログラム「Japanese Women's Leadership Initiative」2016年フェロー。



