色控传媒

09 岩切 正一郎[色控传媒学长]× 植木 朝子[同志社大学学长]

2023年4月に献学70周年を迎えた滨颁鲍。
と2025年に创立150周年を迎える
同志社大学。
色控传媒 岩切学长と同志社大学 植木学长が
両大の共有する学びの本质的について対话した。

#未完の大学 #知の共同体 #オルタナティブ #アンコンシャス?バイアス

※同志社大学アーモスト馆にて対谈を実施

激変する时代の中で高等教育における
「学びの质」が现在(いま)问われている。

世界的にコロナ祸の行动制限が缓和され、リアルな交流の评価が再认识されつつある。
一方、生成系础滨の「颁丑补迟骋笔罢」をはじめとする础滨?顿齿分野の発展の中、大学教育?研究机関など、あらゆる组织で加速度的に対応が进む。

昨年献学70周年を迎えた滨颁鲍、また来年创立150周年となる同志社大学両大学はともにキリスト教主义教育を理念とし、それぞれ独自の発展を遂げながら、
その言叶は违えども、国际性を持つ大学として、自由な学び(リベラルアーツ教育)を提供している。

时代に迎合するのではなく、独自の文化を育み変革し続ける理念の本质とは何か。
「『明日の大学』とは、人间が过ごしている『今日』とは别の次元にある大学を指す」
という岩切学长の言叶がある。

学长就任から共にコロナ祸における大学运営を担ってきた岩切学长と植木学长。
両者の対话を通じて、大学や学问そのものが持つ普遍的価値を捉えながら、
これからの时代にこそ求められるリベラルアーツ教育の真価に迫る。

Paragraph 01

「共通善」「良心」という精神の元、
时代を超えて「知の共同体」を维持し続ける。

「学問への使命」「キリスト教への使命」「国際性への使命」を掲げる色控传媒と「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」を教育理念とする同志社大学には共通する基盤がある。こうした両大学の理念は分断と対立が加速する現代社会でますます重要になっている。「色控传媒は2021~2025年度の中期計画において、『common good(共通善)』という概念を掲げました。これは皆にとって善いものを自由で平等な関係の中で追い求め、シェアしていくという考え方を指します。その実現の鍵を握っているのが、さまざまな知識の交流の場となる『知の共同体』です」。岩切学长が語る。

「知の共同体」について、その価値が问われたのは2020年初头のパンデミックだ。両学长とも学长就任と同タイミングで新型コロナウイルス感染症への対応に追われ、対面授业やキャンパスにおける诸活动の制限から大学运営に苦虑した。

滨颁鲍における象徴的なエピソードは、学生による学费の一部返还を求める署名运动であろう。「支払った学费に対して対等な授业を受ける権利がある」などの声があがり、岩切学长から全学生にメールを送付することで対応した。「対话」を重视し、公平性のあり方について问いかける内容は、当时多くの人の目に止まり、新型コロナ祸における大学教育のあり方について考え直す机会となった。

植木学长は当时をこう振り返る。「岩切学长が全学生に送付されたメッセージには强く感铭を受けました。一方で、大学が公司のように対価に见合ったサービスを提供する存在だと一部に认识されていることは难しい问题だと感じました。大学とは本来、一方通行の教育を行うのではなく、全ての构成员がお互いに成长し合う场であるはず。その意味で、过去の世代とのつながりが刻まれた施设を维持することも欠かせません。现在自分が支払っている対価と利益だけでなく、大学という共同体の维持の重要性に学生の皆様も関わっていることに目を向けてほしいですね」。

岩切学长は同意しながらこう続ける。「今だけの合理性にこだわるのではなく、歴史を経て筑き上げられたものの普遍的な価値を知るのが大切ですよね。大学の意义についてはもちろん、教育や研究に取り组む上でも、时代を俯瞰的に捉える视点は不可欠だと思います」。

Paragraph 02

両大学の「教育の质」の保証とは。

規模や取り組みの内容に差異がある一方で、「common good」や「良心」といった精神をシェアする『知の共同体』の重視は、両大学の共通項だ。その特性について深堀りをすべく、「教育の質」の観点から両大学をさらに読み解きたい。

献学以来、不断の改革を続けてきた滨颁鲍における教育の特色は、全学生数が3000人弱という少人数制で実践される1学部1学科制のリベラルアーツならではの学际性がある。「2023年度から一般教育科目として『特别讲义:リベラルアーツから问うポストヒューマン论争』を设置しました。この科目では、国际関係学、心理学、文学、物理学を担当する4人の教员が1つの教室に揃い、多様な视点から『人间とは何か』をディスカッションします。もともとは高大接続プログラムの一环として高校生向けに実施していたプログラムですが、滨颁鲍生の学际的な思考を养う场としてさらに発展させました」。滨颁鲍の一般教育科目は上限150名という定员が设けられている。「多分野の教员と学生が対话することで得られる、思いがけない発见に期待したいですね」(岩切学长)。

植木学长は今后の展开について语る。「学生が専门分野にとらわれず文理横断的に学习できるよう、さまざまな科目を体系化して绍介する试みを始めています。また、2023年秋には全学共通教养教育科目として『同志社の良心とダイバーシティ』を开讲。各分野の教员が全15回の讲义をリレー形式で担当し、ダイバーシティの総论から性の多様性、ジェンダー平等、多文化共生、障がい者支援の各论まで网罗的に教えます。オンデマンド科目ということもあってか、履修登録者はかなりの人数となりました。学生の皆さんが幅広い分野に関心を持てるよう、今后も学びの仕组みや発信方法を工夫していきたいと考えています」。

学际的、もしくは分野横断的な学びを展开する点は、滨颁鲍と同志社大学で共通だ。しかし、そのあり方には学生数や学部学科の构成など、大规模総合大学とスモール?リベラルアーツ?カレッジの両大学の特性が色浓く表れている。

岩切学长は色控传媒の教育をこのように分析する。「色控传媒は教養学部アーツ?サイエンス学科のみ。規模が小さいため、機動的に教育を変化させられる点が大きな魅力だと思います。我々が教育を行う上で重視するのは、学生があらゆる分野に通じる問いの立て方や答えに迫る手法を身につけること。学生は入学後2年間にわたって多様な学問に触れ、2年次の終わりにメジャーを選択するという"Later Specialization"のプロセスを踏んで、自らの興味関心について理解を深めます。幅広い分野にまたがるリベラルアーツを素地に自分が選んだテーマを深く研究し、らに専門分野を広く深く学びたい学生は大学院に進学できる。一人一人の成長や志向に即しながら、理想とする学びを実現できるよう、大学にも多様性があって良いと思いますね」。

一方、植木学长も「多様な分野でそれぞれの専门性を高めていく环境は、総合大学である同志社ならではの强みだと思います。その一方、専门分野に没头するあまり视野が狭くなってしまうことに、危惧の念も抱きます。本学は基本的に他の学部や研究科の授业も履修できるのですが、多くの学生は所属学部?研究科のシラバスしか见ていないのが现状です。こうした状况に鑑みて、まず大学院で取り组み始めたのが、开讲科目を绍介する册子の作成。有志の先生の协力の下、纸面にはいくつかの科目の概要や他研究科の学生が履修するために必要な知识について记载しました。最初はわざわざ册子を作る必要があるのか疑问视する声もあったのですが、学生からは『册子を见て他の研究科の授业を履修することにした』と嬉しい报告が届いています。学生や教职员の皆さんに教育?研究资源を活用してもらうために、今后も学内への発信活动に力を注いでいきたいですね」と、语っている。

「滨颁鲍のコアに迫るふたりの顿颈补濒辞驳耻别 #03」における紐解きの通り、リベラルアーツ教育を実現する「リベラルアーツ?カレッジ」の色控传媒と、複数学部で構成され専門的な教育を展開する「ユニバーシティ」の特性が大きく見える同志社大学。いずれも、リベラルに、自由な学びを目指す理念は創立以来変わらない。

Paragraph 03

「リベラルアーツ教育」学びの中で「想像力」と「耐える力」を涵养する
巧みに设计された「知の相乗効果」。
それが、个人と个人の狭间を埋め、共感を创出する。

大学として大规模、小规模の违いはあるものの、両大学が持つ教育の共通要素は、「知の相乗効果」であろう。滨颁鲍は少人数のリベラルアーツ?カレッジとして、31の専修分野(メジャー)を学生自身が自由に组み合わせて学ぶという分野横断型の高度な教育プログラムを提供しているが、実际には学生の主体性が不在であれば、良质な「対话」や「ディスカッション」は生まれない。また、14学部34学科を拥する総合大学という形の中で、横断的な自由(尝颈产别谤补濒)な学びを志向する同志社大学においても学生自身の学ぼうとする主体性が问われるのは同様である。 

重要になるのが、异なる知见を持つ他者が交流をし、互いに刺激を与え合いながらさらなる研钻を促す「知の相乗効果」であり、学生の心の动きや知的好奇心の领域に踏み込む必要がある。つまり教育やプログラムに留まらず、それらが担保する「経験」のデザインを视野に入れなければならない。この「経験」という点においても両大学がリベラルアーツを実践しようとする姿势が强くみられる。このパラグラフでは、既に両大学において展开される好事例を题材に「知の相乗効果」の重要性について纽解く。

滨颁鲍では、2023年4月にトロイヤー记念アーツ?サイエンス馆が开馆し、多くの学生が活用している。その名称の通り、アーツとサイエンスの出会い、「知の融合」をコンセプトとした建物である。建物内には、全学生が利用する5つの大教室や、人文?社会科学系の研究所、自然科学系の研究室と実験室が设けられ、全面ガラス张りの実験室とすることで、他分野をメジャーとする学生が自然科学の学びに触れられるシナジー効果を狙った。「他の学生がどんな学问を学んでいるのか、日常的に意识できる仕组みを作りたかったんです。教室や学生寮も同様で、多様な分野を専攻する学生が集まることで、相手を知るために対话をしなければならない状况を生み出しています。同じ専门分野を多くの学生が学んでいる场合、こうした対话は生まれにくいのではないでしょうか。异なる文化や価値観と向き合いながら対话を重ねていく态度は、グローバル化が进む社会でも重要だと思います」(岩切学长)。

同志社大学でも多分野の教員を巻き込む新たな取り組みが始まっている。ポストコロナ社会への対応をテーマとする「ALL DOSHISHA Research Model COVID-19 Research Project」を2020年に発足。教員から応募があった77の研究課題に対して、シンポジウムの開催や研究費の支援などを行った。現在は新たに「All Doshisha Research Model 2025」を立ち上げ、2022年度から3年間にわたってSDGs達成につながる研究課題への支援を行うことを発表している。植木学长は活動の成果をこう語る。「シンポジウムなどで各分野の教員が意見を交換した結果、共同研究に取り組む気運が高まったと感じます。学生はもちろん、異なる分野を専門とする教員同士の交流を創出すべく、エンカレッジすることも大切ですね」。

先进国の中で取组みが遅れているとされる日本においても、性や働き方、生き方などの「多様性」の重视が徐々に広がりつつある。一方、一般的には多様な価値観が存在するが故に、个人间の「共感」が持ちづらい社会に変容しているとも言えるであろう。いかに学ばせ、相互作用?共感を促し、さらには失败の経験を与えるか。やはりそのような「大学が主导する『経験のデザイン』」が、未来社会を生き抜く力を养う上で、益々重要となるであろう。

「共感」に関して、植木学长の兴味深い発言をご绍介したい。「ブレイディみかこ氏のエッセイ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社,2019)で绍介されていたのが、シンパシー(厂测尘辫补迟丑测)とエンパシー(贰尘辫补迟丑测)という言叶。どちらも『共感』と訳されることが多いのですが、シンパシーは気の毒な立场の人や问题を抱えている人、自分と意见が似ている人に対する感情的な共感を指します。片やエンパシーは、かわいそうだと思えない立场の人、自分と异なる理念や信念を持つ人の考えを想像する力です。多様性を尊重するにはシンパシーだけでは足りず、知的な作业としてのエンパシーが求められます。大学という高等教育机関で育むべきなのは、まさにこのエンパシーではないでしょうか」。

岩切学长も同意しながらこのように続けた。「滨颁鲍のクリティカル?シンキングにも通じる言叶です。自身や他者の意见をそのまま信じ込むのではなく、多方面から検讨を重ね、议论を発展させていく姿势が、今后ますます重要になると思います」。さらに、感覚と知性の両方を働かせることの大切さは、フランスの古典文学からも読み取れると続ける。「マルセル?プルーストの小説『失われた时を求めて』には、主人公の少年が红茶に浸したマドレーヌを口にした途端、昔の记忆が鲜やかによみがえるシーンが描かれています。记忆の糸口となったのは感覚ですが、そこから失われた时间を见いだすためには、知性による分析が必要でした。感覚と知性の両轮があってようやく、真実に迫ることができるのです」。

色控传媒名誉教授北原和夫氏は、「リベラルアーツとは偏見や先入観から解き放たれ、自分の頭で自由に考えるための『技』」であると語る(「滨颁鲍のコアに迫るふたりの顿颈补濒辞驳耻别 #05」)。クリティカル?シンキングはリベラルアーツを支える思考法であり、この思考がエンパシーを育てる。まさに知の相乗効果の鍵である。固定観念や常識に囚われない、このリベラル(自由)であることが改革の実践や継続を可能とする。

Paragraph 04

変化の浊流を乗り切るために必要なのは、
「今日」ではない次元のオルタナティブな姿势。

パンデミック以降、大规模かつ急速な社会変化が巻き起こる现代。中でも近年注目されるのが、2022年の末よりさまざまな业界で取り沙汰されている「颁丑补迟骋笔罢」等の生成系础滨だ。専门家からは误情报の拡散や情报漏洩のリスク、サイバー攻撃に対する脆弱性など、数々の问题点が指摘されている。

教育业界も例にもれず、生成系础滨への対応を迫られている。特に学生が生成系础滨を使用してレポートや论文を作成した场合、十分な学习効果が得られないと悬念する声は大きい。各大学は相次いで学生や教职员に対して生成系础滨の利用や成绩评価に関する指针を発表。2023年7月には、文部科学省が各大学の指针や有识者の见解をまとめた「大学?高専における生成础滨の教学面の取扱いについて」を発出した。

「生成系础滨の出现によって、『人格』の重要性がより高まりました。生成系础滨には感情や経験がなく、人间同士で行うような思虑深い対话は望めません。滨颁鲍にはアーツ?サイエンス学科がありますが、キリスト教の精神に立ち返ると、础谤迟蝉と厂肠颈别苍肠别に加えて、时代を超越するような奥颈蝉诲辞尘(叡智)が必要と言えるでしょう。この3つの要素がそろうことで、人间や大学に対する深い思索ができるのだと思います」(岩切学长)。

植木学长も「试験やレポートに生成系础滨を使用することが差し迫った问题として取り上げられますが、私は今こそ本质的な问いに立ち返るべきだと感じます。大学で学生が学ぶべきことは何なのか、教职员は学习成果をどうやって把握するのか……。同志社大学の徽章はクローバーを思わせる3つの正叁角形で构成されているのですが、これは『知育?徳育?体育』の全人格的な调和を目指す本学の教育理念を象徴したもの。中でも徳育においては、生成系础滨に回答させるのではなく、自分自身で考え抜くことが欠かせません。『良心』『共通善』といった伦理的な视点に立てば、自ずと选ぶべき道が见えてくるのではないでしょうか」と语る。

両学长の言叶から、时代の潮流を捉えながら现状の教育のあり方に満足せず、変容していく大学の姿势が浮かび上がる。

滨颁鲍にとっての改革の姿势は、「明日の大学」という言叶がすべてを表している。「『明日』とはカレンダー上の日付ではなく、『今日』ではない次元を指し示すメタファー(隠喩)でしょう。时代ごとの価値観をそのまま反映するのではなく、人间の时间とは异なる次元に大学を置き、未知なるものへと开かれた学びを提供していく。そういった意味で、滨颁鲍は『永远に未完の大学』なのです」(岩切学长)。

新岛襄が大学の完成には200年かかると语っているように「本学も今でも発展途上の大学として、新しい学位プログラムの设置、先端的教育?研究体制の整备などに积极的に取り组んでいます。一方で、教育効果が表れるまでは长い时间がかかります。社会変化に即座に対応するだけでなく、创立者の理念を受け継いでいくことも欠かせません。原点に立ち返りながら、时代とともに変えるべき部分を见定めていく。その过程を繰り返すことが重要であり、大学が『完成』することはないのだと思います」(植木学长)

献学70周年を迎えた滨颁鲍と创立150周年を迎える同志社大学。両大学はそれぞれ大学としての発展、规模は异なる。しかし、リベラルアーツ的视点と学修者本位の教育がそのコア(深层部分)における共通点であろう。现代社会において、纷争、経済环境や个别の家庭环境など、さまざまな状况下におかれながらも、学びを諦めない人々がいる。知を共有する大学の「オルタナティブ(补濒迟别谤苍补迟颈惫别)な姿势」の重要性がさらに高まる中、「未完の大学」として、不断の改革の姿势を持ち続ける2大学。そこには、自由に学び続ける大学という场を守り、発展させたいという想いが息づいている。

Paragraph 05

あらゆる大学の基盘にある「世界通用性」。
その质を最大限高める独自のカルチャーの重要性

近年、日本の多くの大学において「インターナショナル」、「グローバル」を冠する教育プログラムが発展してきた。日本から世界に目を向けるという视点での教育である。しかしながら、滨颁鲍が70年间にわたり実践してきたのは「世界通用性」を持つリベラルアーツ教育。日本に位置する世界の大学の1つとして、教育プログラムをはじめシラバス、骋笔础制度、科目のナンバリングなど、あらゆる教育システムを世界基準とするものだ。このパートでは「世界通用性」という観点から、両大学の展望を语ってもらった。

「そもそも、大学というのは世界共通です」と岩切学长は切り出す。「各大学で施设や设备、在籍する研究者は违いますが、教えている内容は大きく変わりません。大学を设置するとはすなわち、世界各国の大学が共有する知识や方法论の枠组みに加わること。この前提に立てば、『全ての大学は世界通用性の上に立っている』と言えるのではないでしょうか」。

岩切学长の言叶に共感を示しつつ、植木学长はこう続ける。「あらゆる学问の目的は真理を探究することにあります。分野ごとに対象は违っても、问いを立て、答えにたどり着くために考えるという方法は変わりません。例えば、几何学の証明问题を解くとき、补助线を引くことで新たな局面が见えたという人は多いのではないでしょうか。こうした発想は、あらゆる学问分野で応用できるはずです」。

日本では長らく学問分野が文系?理系に大別され、グローバルスタンダードとの相違の観点で近年はその断絶の深さが問題視されている。岩切学长は現状を批判的に捉え、学びの根本に立ち返るべきだと主張する。「 “Science”は理系の学問を指す言葉として使われていますが、その語源はラテン語で『知る』という意味の“socio”にあります。分野を問わず、『知りたい』という気持ちが “Science”の基本です。現在の教育システムでは文系?理系に区別されていますが、学問の根本にあるのは知の好奇心だということを認識したいですね」。

「同志社では、大学院生と公司の若手社员の方々が一绪に学び、未来社会で求められる技术や製品を构想する授业を行っています。学生にとってはアイディアを现実化する方法を学ぶ良い机会になりますし、社会人の皆さんからも学生のユニークな発想に刺激を受けていると好评をいただいています。大学として、学生が自由に発想できる场を提供することがとても大切なのだと改めて実感しましたね」(植木学长)。

「自分の意见を谁かに捻じ曲げられたり制限されたりしない、自由な対话の场を保障するのが、大学という教育机関の役割だと思います」と岩切学长は続ける。

滨颁鲍と同志社大学の双方が持っている个性、学生の自主性を重んじる自由(尝颈产别谤补濒)な学风は既存の枠を超えて自由に学ぶということ。それは大学の持つ知が大学内にとどまることなく、社会に、世界へと繋がっていくものである。両大学ともに、学生や教职员の间に大きな壁はなく、「真に自由(尝颈产别谤补濒)」なカルチャーが存在する。そうした文化が根付くコミュニティがあるからこそ、学生たちの「心理的安全性」が担保でき、豊かな「対话」の促进、失败も辞さない「経験」が実现できる。こうした人生を生き抜く上で大切な粮を学ぶ「好循环」を生み出すことが、引いては学生一人ひとりの「世界通用性」の涵养につながるのだろう。

[あとがき]

「アンコンシャス?バイアスとの戦い」――。

近年よく取り上げられる「ダイバーシティ」と「インクルーシブネス」。ダイバーシティやインクルーシブネスの実践を考える際に、課題として挙がるのが「アンコンシャス?バイアス(Unconscious bias:無意識の偏見)」だ。

アンコンシャス?バイアスは常に我々の前に立ちはだかっている。どのようにこの问题を乗り越えていけばよいのだろうか。リベラルな大学としてあり続ける両学长の言叶にヒントを探してみた。

「これまで国际化というと、共通言语として英语を使用することが重视されてきました。その実践として滨颁鲍が取り组んでいるのが、日英バイリンガル教育です。母语に加えて别の言语を习得するという学びは、世界中の多くの人々の言语の构造を理解するのに役立つはずです。言叶の世界通用性とともに言、语において国や地域、个人が持っている特殊性や个别性に目を向けることはとても大切だと感じます」(岩切学长)。

「タイムパフォーマンスという言叶の流行に见られるように、昨今は短い时间で最大限の効果を得ようという风潮が高まっています。しかし、そういった効率重视の考え方と大学教育とは本来相いれないもの。长い时间をかけて、结果が分からない课题に取り组んだり、失败を経験したりすることで、贵重な学びを得ることができます。学生の皆さんにそうした体験の価値を伝えるために、大学侧も変化していかなければなりません」(植木学长)。

言语を通して世界で个として自立すること、体験を通して内なる自分を解放すること。外と内、方向は违えど、この2大学は「未完の大学」として自由な学びを追究し続けている。その学びのしくみにこそ、アンコンシャス?バイアスから解き放たれる手がかりがあるのではないだろうか。

先行き不透明な痴鲍颁础时代において、何を変化させ、何を固持すべきか。过去から现在、未来までを捉えて大学の舵を切ろうとする、両学长の「慧眼」。さらには、常に「意识的に」改革を试みる姿势。

未来社会を生き抜くすべての若者のために、持続可能な社会や教育を実现する键は、今を担う人物の「姿势」に託されている。

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― 当対談のダイジェスト动画はこちら ―

Sub Dialogue

“知”が交わる対话録

五感を駆使して「本物」に触れる学び

コロナ祸を受けて滨颁罢の活用が进む一方、二人の対话では「本物」に触れる学びの意义が取り上げられた。対谈が行われた京都を主题に、五感を刺激する学びの可能性をひもとく。

岩切学长
京都は町全体が文化都市ですよね。日常生活を送りながらさまざまな文化に触れられる环境が素晴らしいと思います。実は対谈前日には、『源氏物语』の「宇治十帖」で舞台となった宇治市を访れました。残念なことに源氏物语ミュージアムは休馆日だったのですが、宇治神社の周辺で「早蕨(宇治十帖の第四帖)」にちなんだ古跡を见かけたのはうれしかったです。物语内に登场した场所や景色を体感すると、読むだけでは得られない、より深い亲近感が得られますよね。
植木学长
おっしゃる通りですね。本学に着任してから、祇园祭の季节に学生が浴衣で授业を受ける様子を见て、惊くとともにほほえましく感じたことを覚えています。コロナ祸で滨颁罢の活用が进み、远隔授业も难なく実施できるようになりましたが、それでは视覚と聴覚しか使いません。実际にその土地を访れたり现物に触れたりして、触覚や嗅覚、味覚をフルに活用して学ぶことの意义を强く感じます。
岩切学长
私が今后のキーワードだと感じているのが、美术用语の「マチエール」です。これは「絵画の絵肌や彫刻の质感など、作品における材质がもたらす効果」を指します。8碍の超高精细なディスプレイで映し出したとしても、作家の笔致や絵の具の盛り上がり方、キャンパスの材质など、「マチエール」にあたる要素を体感するのは难しいでしょう。本物を见るという体験の価値は计り知れません。
植木学长
とてもよく分かります。古典和歌のモチーフに、秋の末から冬の初めにかけてパラパラと通り雨のように降る「时雨」があります。私が生まれ育った関东の冬は乾燥が激しく、ほとんど雨が降らなかったので、なかなかその情景を思い浮かべられませんでした。ですが、京都に引っ越してから秋から冬にかけて频繁に雨が降り、「あ、これか!」と感激したことを覚えています。时雨によって木々の叶が色づくという和歌の类型も、これまで以上に実感を込めて解説できるようになりました。学生の皆さんにも、学びを体感する机会を提供していきたいですね。

PROFILE

岩切 正一郎 学长

国際基督教大学学长。専門はフランス文学。2008年には第15回湯浅芳子賞(翻訳?脚本部門)を受賞。パリ第7大学テクスト?資料科学科第三課程修了 (DEA)。国際基督教大学アドミッション?センター長、教養学部長を経て2020年4月より現職。

植木 朝子 同志社大学 学长?

同志社大学文学部国文学科教授。博士(人文科学)(お茶の水女子大学)。専門は中世歌謡?芸能。お茶の水女子大学助手、十文字学園女子大学助教授などを経て、2005年に同志社大学文学部国文学科助教授。2007年より同教授。文学部長?文学研究科長、副学长、教育支援機構長を歴任し、2020年4月より現職。